2009年05月05日
一駆新聞 第22号


春爛漫の候
テレビで有名な「ハンバーグのシンドバット」を目指し、春風の中を颯爽?と軽やかな走行会でした。


それともう一軒。カフェギャラリー・モカに立ち寄りました。


2009年02月12日
一駆新聞 第21号


小春日和で、絶好の走行会。
かって走行された水辺プラザ鹿本に、橋田編集長も現地参加され楽しいひと時をすごしました。

何時の日か、回復され一駆走行会に参加される日が来るように祈りつつ復路の鹿本路を走りました。


2009年01月23日
一駆新聞 第20号


ネットを暫らくお休みしている間に会報は、早20号が、発行されました。
先だっての17日、一駆新年会では、橋田編集長が、ご家族に伴われて参加されました


去年の4月に発病されて以来の南風堂来訪に、ご本人も会員メンバーもうれし涙でした。
日々、リハビリに励まれています。


2008年07月30日
一駆新聞 第15号


夏日の遠征走行。世界遺産候補にあげられる明治三大築港のひとつ、三角西港へ!!
三角西港物語
今回は、福田会員が会報編集担当され、橋田編集長の元へ届けられました。



会のメンバーも同行して、久しぶりに交流しました。
橋田編集長は画家で、切り絵やジオラマ制作されていますが、現在『草枕交流館』と『草枕温泉てんすい』にて、作品『昭和の風景ジオラマ』が展示されています。草枕温泉てんすいでは、ジオラマは、市内の映画館と菊池電車「亀井駅」などです。
草枕交流館では、昭和30年代の暮らしの家具が展示されています。
草枕交流館 館長は、一駆の名誉会員 中村青史先生。先生所有の国産カラーテレビ第一号が展示されていました。
![]() |
橋田俊克氏 昭和の風景(ジオラマ)スライドショー< 草枕交流館・草枕温泉てんすい> |
一駆新聞15号です。
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2008年07月26日
一駆新聞 第14号


一駆新聞編集長の橋田氏が職場で倒れられて入院闘病中
メンバー達祈りの定期走行会が6月8日梅雨曇の大津路を駆けました。
一駆新聞 第14号、三吉会員、編集にて発行されました。
※お知らせ!!

ただ今、草枕交流館にて橋田さんの作品を展示中です。
草枕交流館ホームページ
橋田さんの記事 ご報告まで!!
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2008年05月18日
一駆新聞 一周年祈念特別号 (第13号)


GW真っ只中、5月3日~4日 一泊二日の大遠征走行会。
第一回壮行会から一年、春夏秋冬、月毎の定例走行は着実に力を付けました。
楽しい特別祈念号です。 ↓
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クリックして原寸大でご覧下さい。)

2008年04月21日
一駆新聞 第12号


4月13日 うす曇りの小鳥が囀り花咲く菊池路。
新会員 前田女史初参加壮行会でした。
知る人ぞ知る、菊池神社参道左横の旅館「菊乃井」(銭湯併設)

泉質、<すべすべぬるぬる> ほど熱いかけ流しのタイル張りの大きな浴槽。
高い天井、一面の擦りガラスから入るやわらかい日差しに温泉は青く澄み
湧き出していました。


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2008年03月25日
「風に乗って」 №7
◇ 熊本のギャラリー ◇ 2008年3月号のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№7
「風に乗って」(七) 連載
著/きたの・みなみ
「もう20分位なるけど二人は、遅いですね」と会長のOさんが言い出した。
「そう言えばチョッと遅いねー」「道を間違える訳ないと思うけど」と副会長のMさんも心配げに言い出した。
すると今度は、「そう言えば、橋の近くで救急車が走っていたが、もしかして、ママさんの気分が悪くなって救急車で運ばれたのかも知れない。」とメタボのHさんが言い出した。
皆の顔が急に変わった。「それじゃ、とにかくバックして探そう。ナスビさん、貴方が一番元気だからチョッと見て来て」とメタボのHさんが言い出した。ところが、ナスビさんは、「今日は急いで帰りたいです。だから先に行きます。」
「そんなら、荷物をもって先に行きよんなっせ」「後で追いつくけん」とメタボのHさんとやり取りをしていた。
会長のOさんも体調は良くないが、副会長のMさんと二人で、今来た道を探しに行った。
そのころ、ママさんとT・Tさんは、皆に追いつこうと一生懸命に走っていた。
すると、後ろから、「ママさん、この道、違うと思うけど」とT・Tさんが言い出した。
「えっ、真っ直ぐ来たけど、間違っている?」「向こうの橋を渡らないといけないと思うけど」と遠く離れた後方を指差した。
「T・Tさん、この道を真っ直ぐ行くと、どこに行くの?」「多分、城南の方だと思うけど」「それじゃ、戻って、あの橋まで行く?」「そうですネー」と思案しているT・Tさんに構わず、「面倒だからこの先から向こうにつながっている道を行きましょう。」とだいたい面倒くさがりやのママさんが言い出した。
ところが、行けども、行けども、皆に追いつかない。
「おかしいネ、メタボのHさんがいるのだから、休憩しないはずないヨネ」「どこかで、追い抜いたのかもしれないですね。」と話しながら走り続けた。
「チョッと、会長に電話してどこに居るのか聞いてみよう」とママさんが携帯に掛けるけど返事がない。
まだ、走っているのかも?と思いながらも、今度は、Hさんに携帯にしてみた。すると「アータ達は、どこにオッとね」大きな声が帰ってきた。
「今ね、御船の高速の下よ」「動かずに、そこでまっときなっせ」と携帯を切った。
T・Tさんとママさんは、云われたように皆を待っていた。
三〇分ほどすると向こうから二人競争でもしているかのようにナスビさんとHさんが風を切って走ってきている。
T・Tさんとママさんの前に来るなり、「ナスビに勝ったバイ」と息を切らしながら自慢げに云ったかと思うと「会長・副会長があーた達ば探しにいっととバイ」とママさんたちの事より足腰が強いナスビさんに自転車での競争に勝ったことのほうが嬉しそうなHさんである。
しばらくすると、会長・副会長も合流しとにかく何事もなく無事いつもの喫茶店に帰ってきた。
ドア開けるなり「マスター今日は、大変だったバイ
」とヒーヒー・フーフーと身体を揺すりながらHさんが、報告をしている。
次回へつづく


「風に乗って」(七) 連載
著/きたの・みなみ
「もう20分位なるけど二人は、遅いですね」と会長のOさんが言い出した。
「そう言えばチョッと遅いねー」「道を間違える訳ないと思うけど」と副会長のMさんも心配げに言い出した。
すると今度は、「そう言えば、橋の近くで救急車が走っていたが、もしかして、ママさんの気分が悪くなって救急車で運ばれたのかも知れない。」とメタボのHさんが言い出した。
皆の顔が急に変わった。「それじゃ、とにかくバックして探そう。ナスビさん、貴方が一番元気だからチョッと見て来て」とメタボのHさんが言い出した。ところが、ナスビさんは、「今日は急いで帰りたいです。だから先に行きます。」
「そんなら、荷物をもって先に行きよんなっせ」「後で追いつくけん」とメタボのHさんとやり取りをしていた。
会長のOさんも体調は良くないが、副会長のMさんと二人で、今来た道を探しに行った。

そのころ、ママさんとT・Tさんは、皆に追いつこうと一生懸命に走っていた。
すると、後ろから、「ママさん、この道、違うと思うけど」とT・Tさんが言い出した。
「えっ、真っ直ぐ来たけど、間違っている?」「向こうの橋を渡らないといけないと思うけど」と遠く離れた後方を指差した。
「T・Tさん、この道を真っ直ぐ行くと、どこに行くの?」「多分、城南の方だと思うけど」「それじゃ、戻って、あの橋まで行く?」「そうですネー」と思案しているT・Tさんに構わず、「面倒だからこの先から向こうにつながっている道を行きましょう。」とだいたい面倒くさがりやのママさんが言い出した。
ところが、行けども、行けども、皆に追いつかない。
「おかしいネ、メタボのHさんがいるのだから、休憩しないはずないヨネ」「どこかで、追い抜いたのかもしれないですね。」と話しながら走り続けた。
「チョッと、会長に電話してどこに居るのか聞いてみよう」とママさんが携帯に掛けるけど返事がない。
まだ、走っているのかも?と思いながらも、今度は、Hさんに携帯にしてみた。すると「アータ達は、どこにオッとね」大きな声が帰ってきた。
「今ね、御船の高速の下よ」「動かずに、そこでまっときなっせ」と携帯を切った。

T・Tさんとママさんは、云われたように皆を待っていた。
三〇分ほどすると向こうから二人競争でもしているかのようにナスビさんとHさんが風を切って走ってきている。
T・Tさんとママさんの前に来るなり、「ナスビに勝ったバイ」と息を切らしながら自慢げに云ったかと思うと「会長・副会長があーた達ば探しにいっととバイ」とママさんたちの事より足腰が強いナスビさんに自転車での競争に勝ったことのほうが嬉しそうなHさんである。
しばらくすると、会長・副会長も合流しとにかく何事もなく無事いつもの喫茶店に帰ってきた。
ドア開けるなり「マスター今日は、大変だったバイ


次回へつづく

2008年03月13日
一駆新聞 第11号


雨ノモ負ケズ、風邪ニモマケズ、冬の寒サニモマケズ・・無謀なシニアと言う事なかれ


溢れんばかりの漲る勇気で、6名の勇士が跳び走ったのです。
が


橋田編集長、渾身の「一駆新聞」↓お待たせしました。どうぞご覧下さい。

クリックで画像拡大します。

右下に拡大マークが出ますのでクリックでご覧下さい。)

2008年02月15日
一駆新聞 第10号


★一駆会は今回で10回目の走行会を迎えました。
玉名は坂が急で大変難産でした。
ヒーヒーフーフーフー。
byメタ(橋田編集長)
★玉名と云えば<



by麻乃(編集員)
詳しくは一駆新聞10号(下記)をご覧下さい。。
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右下に拡大マークが出ますのでクリックでご覧下さい。)

2008年02月12日
「風に乗って」 №6
◇ 熊本のギャラリー ◇ 2008年2月号のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№5
2008年2月号「風に乗って」6回目
どうにか梅雨も終わりに近づいた。
7月22日は曇りとなり自転車一駆のメンバー6名は、朝9時30分に甲佐の簗場を目指し出発した。
6月の終わりから降り続く雨に美里町付近は、洪水災害にみまわれている、そんな時にサイクリング気分で災害地に行くのはどうだろうと言う意見もあったが、会長のK・Oさんのたっての希望で決行されたのだ。
一駆のメンバー達は、今までサイクリングロードを中心に走っていて、初めて長距離で車道を走る体験をした。
江津どもを抜け嘉島の田園地帯を順調に走っているように思えたが、1回目の休憩の時、会長のK・Oさん、ママさんがどうやら気分が悪いらしく、副会長のT・Mさんが「大丈夫ネ!」と心配そうに声を掛けている。
K・Oさんは、前の晩にお酒をチョト飲みすぎのようだ。ママさんもお酒は飲まないが、寝不足と暑さと初めての歩道のボコボコで胃がむかついているようだ。
まぁー、それでもどうにか目的地の簗場に着いた。
観光客で賑わっているらしく、しばらく待たされた。その間、T・Tさん・T・Mさんは、頭から水をかぶり気持ちよさそうだ。
体調が良くないママさんは、帰りが心配なのだろか、マスターに車で迎えに来るよう連絡している。
ところが、マスターの返事は、「ゆっくりポチポチ帰っておいで。」と言うのである。さすがのママさんもあきれ果てていた。
ようやく待望の鮎料理が刺身、塩焼き、南蛮漬けと次から次へとコースで運ばれて来た。
まるで宴会コースのようだと言いながらアユを満喫している男性5人を横目に、アユを食べられないママさんだけ特別に鳥のから揚げを用意してもらった。だが、アユ料理しかない所でから揚げを注文する人も珍しい事だ。後で話を聞くと、鮎料理コースが約3,800円で、から揚げも3,000円近くの料金だったとぼやいていた。
お腹も一杯になったメンバー達は、爽やかな風のなか暫しの休憩をして甲佐の簗場を後にした。
帰り道、会長・副会長・メタボさん・ナスビさん、T・Tさん・ママさんと列をなし走っていたが、途中から二人T・Tさんとママさんの姿が見えない。会長のK・Oさんが「休憩の所で待っていれば追いつくでしょう。一本道だから」と言い4人はのんびり休憩をしていた。
つづく

テッシュペーパーに筆ペンで書かいたイラスト。。流石~橋田編集長

2008年2月号「風に乗って」6回目
どうにか梅雨も終わりに近づいた。
7月22日は曇りとなり自転車一駆のメンバー6名は、朝9時30分に甲佐の簗場を目指し出発した。
6月の終わりから降り続く雨に美里町付近は、洪水災害にみまわれている、そんな時にサイクリング気分で災害地に行くのはどうだろうと言う意見もあったが、会長のK・Oさんのたっての希望で決行されたのだ。
一駆のメンバー達は、今までサイクリングロードを中心に走っていて、初めて長距離で車道を走る体験をした。
江津どもを抜け嘉島の田園地帯を順調に走っているように思えたが、1回目の休憩の時、会長のK・Oさん、ママさんがどうやら気分が悪いらしく、副会長のT・Mさんが「大丈夫ネ!」と心配そうに声を掛けている。
K・Oさんは、前の晩にお酒をチョト飲みすぎのようだ。ママさんもお酒は飲まないが、寝不足と暑さと初めての歩道のボコボコで胃がむかついているようだ。
まぁー、それでもどうにか目的地の簗場に着いた。
観光客で賑わっているらしく、しばらく待たされた。その間、T・Tさん・T・Mさんは、頭から水をかぶり気持ちよさそうだ。
体調が良くないママさんは、帰りが心配なのだろか、マスターに車で迎えに来るよう連絡している。
ところが、マスターの返事は、「ゆっくりポチポチ帰っておいで。」と言うのである。さすがのママさんもあきれ果てていた。
ようやく待望の鮎料理が刺身、塩焼き、南蛮漬けと次から次へとコースで運ばれて来た。
まるで宴会コースのようだと言いながらアユを満喫している男性5人を横目に、アユを食べられないママさんだけ特別に鳥のから揚げを用意してもらった。だが、アユ料理しかない所でから揚げを注文する人も珍しい事だ。後で話を聞くと、鮎料理コースが約3,800円で、から揚げも3,000円近くの料金だったとぼやいていた。
お腹も一杯になったメンバー達は、爽やかな風のなか暫しの休憩をして甲佐の簗場を後にした。
帰り道、会長・副会長・メタボさん・ナスビさん、T・Tさん・ママさんと列をなし走っていたが、途中から二人T・Tさんとママさんの姿が見えない。会長のK・Oさんが「休憩の所で待っていれば追いつくでしょう。一本道だから」と言い4人はのんびり休憩をしていた。
つづく

テッシュペーパーに筆ペンで書かいたイラスト。。流石~橋田編集長


2008年02月03日
☆待望の一駆新聞 第9号
遅ればせながら。。『
謹賀新年号 』アップしました。
橋田編集長の体調不調にもかかわらず、作品の取材、展示会の作品作成等での、八面六臂の多忙さで
昨日送られてきました。愛読者(*v.v)?の皆様には大変お待たせいたしましたm(__)m
お正月の2日は「初走行会」で、沼山津の横井小楠旧居(四時軒)記念館に行きました。
名誉顧問中村青史先生も自転車で参加される意気込みでしたが…奥方から不可のキツイお達しで
已む無く自動車サポート隊に同乗され、一足先に到着して自動車隊一同は、元文学教授の中村先生に「横井小楠」のミニ講義を拝聴する。
このお家に、坂本竜馬が三度も訪れ、このお縁から釣り糸を垂れていたのかと思うと暫しタイムスリップしました。
先生のお話によると、現在は河川工事で、川が移動しているけれど、かっては旧居は川縁で、裏口は船着場になっていて出入りしていたそう。
そう云えば、「徳富蘆花」の小楠記でも、縁側から秋津川に釣りをしていたと記述がありました。
やがて自転車隊が到着!! あいにく、記念館は正月休みで閉館でしたが、玄関で記念撮影…橋田編集長が欠席で、こんな時に限ってカメラを誰も持たずに、私の古い携帯カメラで撮影しました。
※picasaでウェブアルバムにしています。
クリックして下さい。
URL:http://picasaweb.google.co.jp/budouya3
撮影後、中村先生の引率で小楠をサポートされていた近所の「弥富家」(旧大庄屋)を見学に。
正月2日の突然の来訪にも、弥冨家ご当主は快く応対いただきました。
土間が現存している屋敷は、往時を偲ばせます。
玄関は、名字帯刀の庄屋らしく武家屋敷造りでした。(小楠旧居は安普請
)
はたまた、携帯カメラでご主人と祈念写真をパチリ
昼時分、南風堂に無事到着!! 留守番隊が、すき焼きの準備完了して、新年すき焼きパーティー
開始をカウントダウン

今年も幸先の良いスタートでしたが・・・新年早々、入会されたばかりの吉武総支配人の転勤の一報が入り
会員一同、ガックリでしたが、ご栄転ですのでお祝いと送別の会を開きました。

その席で、小川会長より、<吉武氏の一駆(11番)は、永久欠番と決定しました。>
一同、拍手喝采で、何時の日か帰熊されて11番で走行会をしようと約束しました。
参加されていた吉武総支配人の部下の上野氏が、内外の重圧を受けて自転車を譲り受け、3月には走りたいとのことです。
いよいよメタボ3号さんの登場です。 一駆は、最若手を迎え入れます。
上野氏は黒服で颯爽と仕事をされている青年で、ブライダル担当の営業マン。誠実な人柄で頼りがいがあり、何かとお世話になっています。
詳しくは一駆新聞9号(下記)をご覧下さい。。
↓クリックで画像拡大します。(新聞が表示され、さらにカーソルを乗せクリ
ックすると右下に拡大マークが出ますのでクリックでご覧下さい。)
四時軒記念館
横井小楠旧裏口 弥冨家玄関

橋田編集長の体調不調にもかかわらず、作品の取材、展示会の作品作成等での、八面六臂の多忙さで
昨日送られてきました。愛読者(*v.v)?の皆様には大変お待たせいたしましたm(__)m
お正月の2日は「初走行会」で、沼山津の横井小楠旧居(四時軒)記念館に行きました。
名誉顧問中村青史先生も自転車で参加される意気込みでしたが…奥方から不可のキツイお達しで
已む無く自動車サポート隊に同乗され、一足先に到着して自動車隊一同は、元文学教授の中村先生に「横井小楠」のミニ講義を拝聴する。
このお家に、坂本竜馬が三度も訪れ、このお縁から釣り糸を垂れていたのかと思うと暫しタイムスリップしました。
先生のお話によると、現在は河川工事で、川が移動しているけれど、かっては旧居は川縁で、裏口は船着場になっていて出入りしていたそう。
そう云えば、「徳富蘆花」の小楠記でも、縁側から秋津川に釣りをしていたと記述がありました。
やがて自転車隊が到着!! あいにく、記念館は正月休みで閉館でしたが、玄関で記念撮影…橋田編集長が欠席で、こんな時に限ってカメラを誰も持たずに、私の古い携帯カメラで撮影しました。
※picasaでウェブアルバムにしています。

URL:http://picasaweb.google.co.jp/budouya3
撮影後、中村先生の引率で小楠をサポートされていた近所の「弥富家」(旧大庄屋)を見学に。
正月2日の突然の来訪にも、弥冨家ご当主は快く応対いただきました。
土間が現存している屋敷は、往時を偲ばせます。
玄関は、名字帯刀の庄屋らしく武家屋敷造りでした。(小楠旧居は安普請

はたまた、携帯カメラでご主人と祈念写真をパチリ
昼時分、南風堂に無事到着!! 留守番隊が、すき焼きの準備完了して、新年すき焼きパーティー
開始をカウントダウン


今年も幸先の良いスタートでしたが・・・新年早々、入会されたばかりの吉武総支配人の転勤の一報が入り
会員一同、ガックリでしたが、ご栄転ですのでお祝いと送別の会を開きました。


その席で、小川会長より、<吉武氏の一駆(11番)は、永久欠番と決定しました。>
一同、拍手喝采で、何時の日か帰熊されて11番で走行会をしようと約束しました。
参加されていた吉武総支配人の部下の上野氏が、内外の重圧を受けて自転車を譲り受け、3月には走りたいとのことです。
いよいよメタボ3号さんの登場です。 一駆は、最若手を迎え入れます。
上野氏は黒服で颯爽と仕事をされている青年で、ブライダル担当の営業マン。誠実な人柄で頼りがいがあり、何かとお世話になっています。
詳しくは一駆新聞9号(下記)をご覧下さい。。
↓クリックで画像拡大します。(新聞が表示され、さらにカーソルを乗せクリ
ックすると右下に拡大マークが出ますのでクリックでご覧下さい。)


四時軒記念館


横井小楠旧裏口 弥冨家玄関
2008年01月07日
「風に乗って」 №5
◇ 熊本のギャラリー ◇ 2008年1月号のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№5
2008年1月号「風に乗って」5回目
初の走行会も無事帰路に着いた。
会長を除くメンバー達は、始めての体験で、なにやら感じ得るものがあったようだ。
その後、メンバー達の話し合いで、新人が入った場合には、植木のサイクリングロードを経験してもらうことになった。
いつもの喫茶店では、メンバー達の話で賑わっているさなか、ママさんが声を掛けたT・Tさんも参加することになった。
彼は、ある、デパートを退職して第二の就職も決まり、心新たに人生を楽しみたいと言うのである。
早速、自転車を奥さんと一緒に買いに行ったようだ。色々探したが、どのような自転車がいいのか分からず、ママさんのアドバイスで決めたようである。
どちらかと言うと彼女もよく分かっていなくて最初は、安い自転車いいと適当に進めている。
それが、T・Tさんにとって良かったのかどうか分からないが、マウンテンバイクを購入したのだ。
最初の決め事どおりに、新人T・Tさんの参加の為、六月は、植木のサイクリングロードを走り、七月は、甲佐の簗場までを走行することになった。
初参加のT・Tさんは、植木のサイクリングロードで、かなり苦しそうで足が痛い、お尻が痛いと呟いていたが、T・Tさんに感想を聞いてみると「今まで、車ばかり乗っていて、脚力がこんなに衰えているとは思わなかった。
これからは、もっと鍛えないと。家内も大賛成でシャツまでプレゼントしてくれたんですよ。」
と意欲満々である。
「T・Tさんは、奥さんの理解があっていいね!!でも、メタボのHさんのところも泣かせる話があるのよ。」とママさんが横から話しに入り込んできた。
彼の娘さんが、父の日の為にアルバイトをしたお金で、自転車をプレゼントしてくれたのだ。
彼の奥さんの話では、飽きっぽい性格で何でも長続きしないそうである。
本当に走れるのか?それとも、話だけで終わるのかと思っていたのに、ママチャリで走りどうにか完走したHさんに対してのご褒美と健康を願っての事だろう。
六月下旬から梅雨が長引き、甲佐の方では梅雨災害で、簗場には行けそうもないと、ママさんの方から皆に連絡が入り中止と言う事になった。だが、五月・六月と自転車に魅了されたメンバー達は、一ヶ月に一度は、走行会をと言う事で急遽、第四日曜日に行ける者だけ行く事になった。
次回へつづく

2008年1月号「風に乗って」5回目
初の走行会も無事帰路に着いた。
会長を除くメンバー達は、始めての体験で、なにやら感じ得るものがあったようだ。
その後、メンバー達の話し合いで、新人が入った場合には、植木のサイクリングロードを経験してもらうことになった。
いつもの喫茶店では、メンバー達の話で賑わっているさなか、ママさんが声を掛けたT・Tさんも参加することになった。
彼は、ある、デパートを退職して第二の就職も決まり、心新たに人生を楽しみたいと言うのである。
早速、自転車を奥さんと一緒に買いに行ったようだ。色々探したが、どのような自転車がいいのか分からず、ママさんのアドバイスで決めたようである。
どちらかと言うと彼女もよく分かっていなくて最初は、安い自転車いいと適当に進めている。
それが、T・Tさんにとって良かったのかどうか分からないが、マウンテンバイクを購入したのだ。
最初の決め事どおりに、新人T・Tさんの参加の為、六月は、植木のサイクリングロードを走り、七月は、甲佐の簗場までを走行することになった。
初参加のT・Tさんは、植木のサイクリングロードで、かなり苦しそうで足が痛い、お尻が痛いと呟いていたが、T・Tさんに感想を聞いてみると「今まで、車ばかり乗っていて、脚力がこんなに衰えているとは思わなかった。
これからは、もっと鍛えないと。家内も大賛成でシャツまでプレゼントしてくれたんですよ。」


「T・Tさんは、奥さんの理解があっていいね!!でも、メタボのHさんのところも泣かせる話があるのよ。」とママさんが横から話しに入り込んできた。
彼の娘さんが、父の日の為にアルバイトをしたお金で、自転車をプレゼントしてくれたのだ。


本当に走れるのか?それとも、話だけで終わるのかと思っていたのに、ママチャリで走りどうにか完走したHさんに対してのご褒美と健康を願っての事だろう。
六月下旬から梅雨が長引き、甲佐の方では梅雨災害で、簗場には行けそうもないと、ママさんの方から皆に連絡が入り中止と言う事になった。だが、五月・六月と自転車に魅了されたメンバー達は、一ヶ月に一度は、走行会をと言う事で急遽、第四日曜日に行ける者だけ行く事になった。
次回へつづく
2008年01月06日
「風に乗って」 №4
◇ 熊本のギャラリー ◇ 12月のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№4
12月号「風に乗って」4回目
メタボリックのT・Hさんは、とてもきつそう、息を「ハァー、ハァー」と切らしながら皆に遅れまいと一生懸命に走っている。
後ろから「早く行かないと、閊えるよ」とママさんの声が聞こえる。なんと元気のいいことだろう。
「先に行きなっせ、僕チャンは後からついてくるけん」と声を掛けるのが精一杯の様子。
T・Sさんは、のんびりと五月の季節を楽しむかのように「ママさん、この花は何でしょうか?まだ、田植えの時期じゃないんですね?」といろいろ話しかけてくる。
「私に聞かないで、花の名前なんて知らない!今は、そんな余裕なんてないヨ」とママさんも初めての体験に必死のようだ。
副会長のT・Mさんは、さすがに走行会前にトレーニングをやっていたらしく余裕でトップを走っている。ナスビさんことA・Mさんは、普段マラソンをしているだけあって、体力があり体脂肪十三・四と言って自慢している。
やっと休憩場所の硯川に到着。
メタボのT・Hさんはここで引き返そうと思っていたらしい。でも、皆の手前それも言えず、「キツカデスバイ、ヒィーヒィー、フーフー」を連発している。
それぞれ疲れ果てているがメタボさんの連発で笑い声が溢れた。
植木温泉まで後半分の地点だ。
会長のK・Oから、「余り休むと余計に疲れますけん。そろそろ出発しましょうか?」と声がかかる。
メタボのT・Hさんは、もう、行くのかと言うような顔をして動き始めた。
これから難所が続く。緩やかな登り坂道を行くと、今度は、階段を上がらなくてはならない。永年、自転車を乗っているK・Oさんは、皆にお手本を見せようと、階段の中央のスロープを四五度はあると思うが、自転車で登り始めた。
「会長!危ないヨ、辞めた方がいいよ」と心配そうにママさんが声を掛けている
間に着いてしまった。
皆はとても無理なので、階段を歩いて上がり、そこで一息。
一番難所の植木町の国道三号線に交わる、Sカーブの坂を登らなくてはならない。
これがなんとも言えない坂道なのだ。さすがの会長K・Oさんも副会長のT・Mさん、ナスビさん、T・Sさんも辛そうである。メタボのT・Hさんは男の意地を見せているのか途中まで頑張ったが、自転車を降りてしまった。ママさんは、最初から諦めているのか自転車を押して上がった。
どうにか難所の登り坂をクリアーしたメンバー達は、国道三号線を横切りしばらく行くと両側が竹薮になっている下り坂を一気に駆けて行く。まさに、風に乗っているかのような気分を味わったのだ。
目的地の植木温泉に着いたのは、十二時頃度々の休憩で約二時間三〇分の走行だ。
昼食は、河川敷の木陰で持参の弁当開きをすることになった。疲れ果て、汗びっしょりの身体に川からの風が気持ちよく、梅干入りの握り飯をパクつき、道中話で花が咲いたようだ。
つづく


12月号「風に乗って」4回目
メタボリックのT・Hさんは、とてもきつそう、息を「ハァー、ハァー」と切らしながら皆に遅れまいと一生懸命に走っている。
後ろから「早く行かないと、閊えるよ」とママさんの声が聞こえる。なんと元気のいいことだろう。
「先に行きなっせ、僕チャンは後からついてくるけん」と声を掛けるのが精一杯の様子。
T・Sさんは、のんびりと五月の季節を楽しむかのように「ママさん、この花は何でしょうか?まだ、田植えの時期じゃないんですね?」といろいろ話しかけてくる。
「私に聞かないで、花の名前なんて知らない!今は、そんな余裕なんてないヨ」とママさんも初めての体験に必死のようだ。
副会長のT・Mさんは、さすがに走行会前にトレーニングをやっていたらしく余裕でトップを走っている。ナスビさんことA・Mさんは、普段マラソンをしているだけあって、体力があり体脂肪十三・四と言って自慢している。
やっと休憩場所の硯川に到着。
メタボのT・Hさんはここで引き返そうと思っていたらしい。でも、皆の手前それも言えず、「キツカデスバイ、ヒィーヒィー、フーフー」を連発している。
それぞれ疲れ果てているがメタボさんの連発で笑い声が溢れた。
植木温泉まで後半分の地点だ。
会長のK・Oから、「余り休むと余計に疲れますけん。そろそろ出発しましょうか?」と声がかかる。
メタボのT・Hさんは、もう、行くのかと言うような顔をして動き始めた。
これから難所が続く。緩やかな登り坂道を行くと、今度は、階段を上がらなくてはならない。永年、自転車を乗っているK・Oさんは、皆にお手本を見せようと、階段の中央のスロープを四五度はあると思うが、自転車で登り始めた。
「会長!危ないヨ、辞めた方がいいよ」と心配そうにママさんが声を掛けている
間に着いてしまった。
皆はとても無理なので、階段を歩いて上がり、そこで一息。
一番難所の植木町の国道三号線に交わる、Sカーブの坂を登らなくてはならない。
これがなんとも言えない坂道なのだ。さすがの会長K・Oさんも副会長のT・Mさん、ナスビさん、T・Sさんも辛そうである。メタボのT・Hさんは男の意地を見せているのか途中まで頑張ったが、自転車を降りてしまった。ママさんは、最初から諦めているのか自転車を押して上がった。
どうにか難所の登り坂をクリアーしたメンバー達は、国道三号線を横切りしばらく行くと両側が竹薮になっている下り坂を一気に駆けて行く。まさに、風に乗っているかのような気分を味わったのだ。
目的地の植木温泉に着いたのは、十二時頃度々の休憩で約二時間三〇分の走行だ。
昼食は、河川敷の木陰で持参の弁当開きをすることになった。疲れ果て、汗びっしょりの身体に川からの風が気持ちよく、梅干入りの握り飯をパクつき、道中話で花が咲いたようだ。
つづく

2008年01月03日
< 昭和の風景展 >and< ケーブルテレビ放送>
謹賀新年
一駆は、今年も駆け抜けます((( ^^)爻(^^ )))
一駆新聞新年号、乞う!ご期待です。
一駆編集長橋田俊克氏の作品の展示会とテレビ放送のお知らせです。
★1月13日~20日迄
ゆめタウンはませんにて 昭和の風景展に橋田俊克氏の作品が展示されます。
★ケーブルテレビで収録されました。
こちらも1月7日から20日迄一日2回ほど放送されます。
初回は7日の午後5時からです。
是非、ご覧下さい

画像をクリックしてもう一度クリックで原寸拡大します。↑
一駆は、今年も駆け抜けます((( ^^)爻(^^ )))
一駆新聞新年号、乞う!ご期待です。

★1月13日~20日迄
ゆめタウンはませんにて 昭和の風景展に橋田俊克氏の作品が展示されます。
★ケーブルテレビで収録されました。
こちらも1月7日から20日迄一日2回ほど放送されます。
初回は7日の午後5時からです。
是非、ご覧下さい

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2007年12月27日
一駆新聞 第8号


今月の一駆は、師走の風が吹き抜けるような慌しさでした


9日の走行会後の11日、一駆会忘年会が、KKRホテルで開催されました。何とッ、お城が見えるお部屋でのフルコースでした




後日、一駆新聞も出来上がり、飲み続けメタボ1号編集長のお腹に何やら大騒ぎするやからに緊急入院・・・ノロ?
数日間の入院と相成られました。
お見舞いに伺ったら、幾分お顔がスッキリと。。。(^^;ゞ 休肝日になったようです。
“蘇る金狼”のごとく復活!! 23日の恒例「南風堂」大忘年会に参加されました。
その4次会でアクシデントが・・美女3人を引き連れ「ガスト」でピザをお腹に納めた帰りの出口で、3段の階段を下りずにその横の段差に足を下ろした瞬間!

幸いに、顔面強打をされたものの外傷はなく、頑丈な歯で少し内唇を傷ついただけで済まれました。・・が、口元が血だらけのビキタン状態のお姿に美女連は、図らずも笑いが込み上げて、「早く起き上がりなさい!」
あぁ美女の薄情け。。


編集長、お大事にされて下さい。
新年の一駆会初壮行会は、2日に沼山津の「横井小楠記念館」です。
来年も一駆会のメンバーの健康増進&親睦に更なる活躍を祈念します。
皆様、良いお年をお迎え下さい。
詳しくは一駆新聞8号(下記)をご覧下さい。。
↓クリックで画像拡大します。(新聞が表示され、さらにカーソルを乗せクリ
ックすると右下に拡大マークが出ますのでクリックでご覧下さい。)

2007年11月22日
2007年11月19日
一駆新聞 第7号
今月は、満を持しての初参加の吉武氏と『 山鹿 』までの長距離サイクリングでした
昼食会場は、山鹿灯篭祭りの会場近くの一駆名誉顧問中村青史先生のご実家。
たわわに実る柿の木が、我らの収穫を待っていました

…そこに、まさかの一駆女王の往復路での不幸なアクシデントが・・・Σヾ(;☆ω☆)ノ!ガビーンッ!
詳しくは一駆新聞7号↓をご覧下さい。。

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昼食会場は、山鹿灯篭祭りの会場近くの一駆名誉顧問中村青史先生のご実家。
たわわに実る柿の木が、我らの収穫を待っていました


…そこに、まさかの一駆女王の往復路での不幸なアクシデントが・・・Σヾ(;☆ω☆)ノ!ガビーンッ!
詳しくは一駆新聞7号↓をご覧下さい。。


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2007年11月04日
「風に乗って」 №3
◇ 熊本のギャラリー ◇ 11月のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№3
いよいよ五月の第二日曜日、当日である。爽やかな季節、天候もサイクリング日和だ。
全員参加の予定だったが、仕事の関係や家庭の事情で参加出来ず、会長ことK・Oさん通称チャチャ丸さん、
副会長T・Mさん、編集員T・Hさん通称メタボリさん、T・Sさん、A・Mさん通称ナスビさんと女性只一人のママさんの六名の参加である。
朝九時三〇分出発なのに九時前には全員集合しているではないか。
朝寝坊のママさんもどうやら早起きしたらしく、まだ目が覚めぬまま「みんな早いね!」と声を掛けている。
迷惑なのは、マスターだろう、集合場所がこの店になっている為、折角の休日なのに朝早くから、みんなの為にコーヒーを点てている。
一杯のコーヒーで出発前の緊張感がほぐされ、和やかな会話が始まった。
そこへ剣士Y・Kさんやって来た。
「みなさん、おはようございます。私も顧問の一人なので自転車には、乗りませんが、見送りに来ました。」
「まぁー、すみません、夜の帝王が朝から見送りとは。」とようやく目が覚めたようなママさんが冗談まじりに挨拶をしていると「そろそろ時間です」会長から声がかかった。
みんな、それぞれの自転車にまたがり目指すは植木温泉まで。
会長を先頭に一列に走る姿は、中々なものだ。
サイクリングロードとは上熊本から山鹿までの道。
私の聞いたところでは、昭和二八年頃まで山鹿から植木駅まで鹿本鉄道が走っていた。
山鹿方面の住民は熊本市内まで行くのによく利用していたらしい。元熊大の教授でS・N先生も学生の頃よく利用した口だそうだ。
列車が坂道に入るとスピードが落ちるため学生だった先生達乗客は、列車を降り皆で押していたと懐かしそうに話してくれた。その鹿本鉄道は、昭和二八年の災害で路線を復興出来ず、何年か後に線路跡をサイクリングロードとして甦らせたそうだ。
今では、自転車愛好家が多いに利用している。
一駆の自転車隊も会長の意見でサイクリングロードの出発点である本妙寺から井芹川沿を通って上熊本駅前、崇城大前と進んで行くことになった。
みんな順調に走っているかのように思えたが・・・。
次回へつづく

画:橋田編集長

いよいよ五月の第二日曜日、当日である。爽やかな季節、天候もサイクリング日和だ。
全員参加の予定だったが、仕事の関係や家庭の事情で参加出来ず、会長ことK・Oさん通称チャチャ丸さん、
副会長T・Mさん、編集員T・Hさん通称メタボリさん、T・Sさん、A・Mさん通称ナスビさんと女性只一人のママさんの六名の参加である。
朝九時三〇分出発なのに九時前には全員集合しているではないか。
朝寝坊のママさんもどうやら早起きしたらしく、まだ目が覚めぬまま「みんな早いね!」と声を掛けている。
迷惑なのは、マスターだろう、集合場所がこの店になっている為、折角の休日なのに朝早くから、みんなの為にコーヒーを点てている。
一杯のコーヒーで出発前の緊張感がほぐされ、和やかな会話が始まった。
そこへ剣士Y・Kさんやって来た。
「みなさん、おはようございます。私も顧問の一人なので自転車には、乗りませんが、見送りに来ました。」
「まぁー、すみません、夜の帝王が朝から見送りとは。」とようやく目が覚めたようなママさんが冗談まじりに挨拶をしていると「そろそろ時間です」会長から声がかかった。
みんな、それぞれの自転車にまたがり目指すは植木温泉まで。
会長を先頭に一列に走る姿は、中々なものだ。
サイクリングロードとは上熊本から山鹿までの道。
私の聞いたところでは、昭和二八年頃まで山鹿から植木駅まで鹿本鉄道が走っていた。
山鹿方面の住民は熊本市内まで行くのによく利用していたらしい。元熊大の教授でS・N先生も学生の頃よく利用した口だそうだ。
列車が坂道に入るとスピードが落ちるため学生だった先生達乗客は、列車を降り皆で押していたと懐かしそうに話してくれた。その鹿本鉄道は、昭和二八年の災害で路線を復興出来ず、何年か後に線路跡をサイクリングロードとして甦らせたそうだ。
今では、自転車愛好家が多いに利用している。
一駆の自転車隊も会長の意見でサイクリングロードの出発点である本妙寺から井芹川沿を通って上熊本駅前、崇城大前と進んで行くことになった。
みんな順調に走っているかのように思えたが・・・。
次回へつづく

画:橋田編集長

2007年10月22日
一駆新聞 第6号 ★追記
橋田編集長コメント
今回よりメタボ1号、2号さんの登場で、面白い勝負になりそうですね。
メタボ2号さんは、次の日「居ても立っても居られず」
貯金甕を叩き割り、小銭をつかんで、小川会長と香川自転車に走ったそうです。
乗る気満々のご様子です。
メタボ2号さんとかけて、何と解く
アル×△ダが核爆弾を手に入れたと解く
そのこころは
怖いものなし おお~ 怖

今回よりメタボ1号、2号さんの登場で、面白い勝負になりそうですね。
メタボ2号さんは、次の日「居ても立っても居られず」
貯金甕を叩き割り、小銭をつかんで、小川会長と香川自転車に走ったそうです。
乗る気満々のご様子です。
メタボ2号さんとかけて、何と解く
アル×△ダが核爆弾を手に入れたと解く
そのこころは
怖いものなし おお~ 怖

