2007年11月22日
2007年11月19日
一駆新聞 第7号
今月は、満を持しての初参加の吉武氏と『 山鹿 』までの長距離サイクリングでした
昼食会場は、山鹿灯篭祭りの会場近くの一駆名誉顧問中村青史先生のご実家。
たわわに実る柿の木が、我らの収穫を待っていました

…そこに、まさかの一駆女王の往復路での不幸なアクシデントが・・・Σヾ(;☆ω☆)ノ!ガビーンッ!
詳しくは一駆新聞7号↓をご覧下さい。。

↓クリックで画像拡大します。(新聞が表示され、さらにカーソルを乗せクリックすると右下に拡大マークが出ますのでクリックでご覧下さい。)

昼食会場は、山鹿灯篭祭りの会場近くの一駆名誉顧問中村青史先生のご実家。
たわわに実る柿の木が、我らの収穫を待っていました


…そこに、まさかの一駆女王の往復路での不幸なアクシデントが・・・Σヾ(;☆ω☆)ノ!ガビーンッ!
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2007年11月04日
「風に乗って」 №3
◇ 熊本のギャラリー ◇ 11月のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№3
いよいよ五月の第二日曜日、当日である。爽やかな季節、天候もサイクリング日和だ。
全員参加の予定だったが、仕事の関係や家庭の事情で参加出来ず、会長ことK・Oさん通称チャチャ丸さん、
副会長T・Mさん、編集員T・Hさん通称メタボリさん、T・Sさん、A・Mさん通称ナスビさんと女性只一人のママさんの六名の参加である。
朝九時三〇分出発なのに九時前には全員集合しているではないか。
朝寝坊のママさんもどうやら早起きしたらしく、まだ目が覚めぬまま「みんな早いね!」と声を掛けている。
迷惑なのは、マスターだろう、集合場所がこの店になっている為、折角の休日なのに朝早くから、みんなの為にコーヒーを点てている。
一杯のコーヒーで出発前の緊張感がほぐされ、和やかな会話が始まった。
そこへ剣士Y・Kさんやって来た。
「みなさん、おはようございます。私も顧問の一人なので自転車には、乗りませんが、見送りに来ました。」
「まぁー、すみません、夜の帝王が朝から見送りとは。」とようやく目が覚めたようなママさんが冗談まじりに挨拶をしていると「そろそろ時間です」会長から声がかかった。
みんな、それぞれの自転車にまたがり目指すは植木温泉まで。
会長を先頭に一列に走る姿は、中々なものだ。
サイクリングロードとは上熊本から山鹿までの道。
私の聞いたところでは、昭和二八年頃まで山鹿から植木駅まで鹿本鉄道が走っていた。
山鹿方面の住民は熊本市内まで行くのによく利用していたらしい。元熊大の教授でS・N先生も学生の頃よく利用した口だそうだ。
列車が坂道に入るとスピードが落ちるため学生だった先生達乗客は、列車を降り皆で押していたと懐かしそうに話してくれた。その鹿本鉄道は、昭和二八年の災害で路線を復興出来ず、何年か後に線路跡をサイクリングロードとして甦らせたそうだ。
今では、自転車愛好家が多いに利用している。
一駆の自転車隊も会長の意見でサイクリングロードの出発点である本妙寺から井芹川沿を通って上熊本駅前、崇城大前と進んで行くことになった。
みんな順調に走っているかのように思えたが・・・。
次回へつづく

画:橋田編集長

いよいよ五月の第二日曜日、当日である。爽やかな季節、天候もサイクリング日和だ。
全員参加の予定だったが、仕事の関係や家庭の事情で参加出来ず、会長ことK・Oさん通称チャチャ丸さん、
副会長T・Mさん、編集員T・Hさん通称メタボリさん、T・Sさん、A・Mさん通称ナスビさんと女性只一人のママさんの六名の参加である。
朝九時三〇分出発なのに九時前には全員集合しているではないか。
朝寝坊のママさんもどうやら早起きしたらしく、まだ目が覚めぬまま「みんな早いね!」と声を掛けている。
迷惑なのは、マスターだろう、集合場所がこの店になっている為、折角の休日なのに朝早くから、みんなの為にコーヒーを点てている。
一杯のコーヒーで出発前の緊張感がほぐされ、和やかな会話が始まった。
そこへ剣士Y・Kさんやって来た。
「みなさん、おはようございます。私も顧問の一人なので自転車には、乗りませんが、見送りに来ました。」
「まぁー、すみません、夜の帝王が朝から見送りとは。」とようやく目が覚めたようなママさんが冗談まじりに挨拶をしていると「そろそろ時間です」会長から声がかかった。
みんな、それぞれの自転車にまたがり目指すは植木温泉まで。
会長を先頭に一列に走る姿は、中々なものだ。
サイクリングロードとは上熊本から山鹿までの道。
私の聞いたところでは、昭和二八年頃まで山鹿から植木駅まで鹿本鉄道が走っていた。
山鹿方面の住民は熊本市内まで行くのによく利用していたらしい。元熊大の教授でS・N先生も学生の頃よく利用した口だそうだ。
列車が坂道に入るとスピードが落ちるため学生だった先生達乗客は、列車を降り皆で押していたと懐かしそうに話してくれた。その鹿本鉄道は、昭和二八年の災害で路線を復興出来ず、何年か後に線路跡をサイクリングロードとして甦らせたそうだ。
今では、自転車愛好家が多いに利用している。
一駆の自転車隊も会長の意見でサイクリングロードの出発点である本妙寺から井芹川沿を通って上熊本駅前、崇城大前と進んで行くことになった。
みんな順調に走っているかのように思えたが・・・。
次回へつづく

画:橋田編集長
