2007年09月29日
「 風に乗って 」 №1
◇ 熊本のギャラリー ◇ 9月のコラムより
ある日の午後いつものように行きつけの喫茶店に入った。
今日は、なにやら賑やかな雰囲気である。
店のママさんと常連客達との会話がやたらと耳に入り何となく聞いてみると、どうやら自転車の話らしい。
常連客のMさんがOさんに自転車の手ほどきを頼んだのが発端らしい。
ここのママさんもどちらかと云うと世話好きらしく、自転車の手ほどきの話を気心しれた客に話し自転車に乗るように勧めているのである。
「Mさん何で自転車なの?」とママさんの質問に答えながら「僕はね、昔からバイクか、自転車をやってみたいと思っていたけどバイクは、高いし運動にはならないし、その点自転車は、経費もかからず身体を鍛えるにはもってこいでしょう。
だからOさんが仕事を辞めるなら時間もあると思ったわけ」
「なーるほど」と呟きながら納得したような顔つきである。
ママさんが突然カウンターの端に座っているHさんに向かって「Hさん貴方も、自転車に乗った方がいいんじゃない」「何で僕が?乗れるわけないじゃん。こんなメタボな身体しているのに」
「だから乗るんじゃないの。そのうちブヨブヨが筋肉質になってスマートになるかもね。絶対いよ!!」とまじめに勧めているのである。
まあ、Hさんが乗るか乗らないかは、分からないがとても楽しそうな会話である。私もついつい、聞き耳を立ててしまった。
そう言えば私もそろそろ世間で云う団塊の世代なのである。
今、私も何か始めたいような気がした。
多分ママさん達の話に影響されたのだろうか?
次回へ

ある日の午後いつものように行きつけの喫茶店に入った。
今日は、なにやら賑やかな雰囲気である。
店のママさんと常連客達との会話がやたらと耳に入り何となく聞いてみると、どうやら自転車の話らしい。
常連客のMさんがOさんに自転車の手ほどきを頼んだのが発端らしい。
ここのママさんもどちらかと云うと世話好きらしく、自転車の手ほどきの話を気心しれた客に話し自転車に乗るように勧めているのである。
「Mさん何で自転車なの?」とママさんの質問に答えながら「僕はね、昔からバイクか、自転車をやってみたいと思っていたけどバイクは、高いし運動にはならないし、その点自転車は、経費もかからず身体を鍛えるにはもってこいでしょう。
だからOさんが仕事を辞めるなら時間もあると思ったわけ」
「なーるほど」と呟きながら納得したような顔つきである。
ママさんが突然カウンターの端に座っているHさんに向かって「Hさん貴方も、自転車に乗った方がいいんじゃない」「何で僕が?乗れるわけないじゃん。こんなメタボな身体しているのに」
「だから乗るんじゃないの。そのうちブヨブヨが筋肉質になってスマートになるかもね。絶対いよ!!」とまじめに勧めているのである。
まあ、Hさんが乗るか乗らないかは、分からないがとても楽しそうな会話である。私もついつい、聞き耳を立ててしまった。
そう言えば私もそろそろ世間で云う団塊の世代なのである。
今、私も何か始めたいような気がした。
多分ママさん達の話に影響されたのだろうか?

次回へ


2007年10月17日
「 風に乗って 」 №2
◇ 熊本のギャラリー ◇ 10月のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№2
次の日の夕方いつものように会社帰りに寄ってみた。
「こんにちは、」
「いらしゃーい。今日は、早いね!」と
お冷とお絞りをいつもの口調で私の前に置いてくれた。
「ママさん、みんなは、まだ、来てないの?」
「もうそろそろOさんが来る時間ね」そんな他愛無い話をしていたら、Oさん、Hさん、Mさんと姿を見せ始めた。
いつものメンバーでカウンターが占められ、当たり前のように昨日の話の続きが始まった。
「Mさんが、自転車を買ったそうよ」と皆に聞こえるようにママさんが説明をしている。
中々いい自転車のようで、サイクリング専用車をクシ自転車のオーナーが進めてくれたようである。
すると、Mさんの口から「ママもハヨウー買わんねぇー」「エー、でも結構な値段がするでしょう。
そんな高い自転車なんて買えないもん」と色々言い訳をしている。
多分、本人は、参加するつもりはないようで、世話をしているだけがいいのだろう。
すると、いきなり、マスターが『お前、いろころ言わずこれで自転車を買え』と一万円札をママさんに差し出した。
さすがマスターだ。ママさんも三万円ぐらいはあると思ったらしくニッコリ。
突然「これじゃ自転車買えないじゃん。」とマスターに文句をいい始めた。
手にしていたのは、一万円札一枚。皆の笑いが溢れた。
カウンターを乗り越えんばかりに身を乗り出して、Oさんが「ママさんこれで自転車の内金ができたでしょが。
あとちょっと出せば買えるよ。」今度は、Hさんまで「アータが行かんと行かんバイ、事務局なんだけん。」
「そんなら、Hさんも参加よね。」「メタボな僕ちゃんはノーコメント。」
「ノーコメントってあるね!、Hさんが、マークやシャツを作ったのだから参加しなきゃダメよ。」
他にもママさんが誘ったのだろう、次から次へ参加者の名前が挙がった。
まぁーこんな訳で会員九名、顧問九名の自転車サイクリング倶楽部「一駆」が誕生した。
五月第二日曜日に一回目の走行会を上熊本~植木までの自転車ロードを走ることになったのである。

次回へ

次の日の夕方いつものように会社帰りに寄ってみた。
「こんにちは、」
「いらしゃーい。今日は、早いね!」と
お冷とお絞りをいつもの口調で私の前に置いてくれた。
「ママさん、みんなは、まだ、来てないの?」
「もうそろそろOさんが来る時間ね」そんな他愛無い話をしていたら、Oさん、Hさん、Mさんと姿を見せ始めた。
いつものメンバーでカウンターが占められ、当たり前のように昨日の話の続きが始まった。
「Mさんが、自転車を買ったそうよ」と皆に聞こえるようにママさんが説明をしている。
中々いい自転車のようで、サイクリング専用車をクシ自転車のオーナーが進めてくれたようである。
すると、Mさんの口から「ママもハヨウー買わんねぇー」「エー、でも結構な値段がするでしょう。
そんな高い自転車なんて買えないもん」と色々言い訳をしている。
多分、本人は、参加するつもりはないようで、世話をしているだけがいいのだろう。
すると、いきなり、マスターが『お前、いろころ言わずこれで自転車を買え』と一万円札をママさんに差し出した。
さすがマスターだ。ママさんも三万円ぐらいはあると思ったらしくニッコリ。
突然「これじゃ自転車買えないじゃん。」とマスターに文句をいい始めた。
手にしていたのは、一万円札一枚。皆の笑いが溢れた。
カウンターを乗り越えんばかりに身を乗り出して、Oさんが「ママさんこれで自転車の内金ができたでしょが。
あとちょっと出せば買えるよ。」今度は、Hさんまで「アータが行かんと行かんバイ、事務局なんだけん。」
「そんなら、Hさんも参加よね。」「メタボな僕ちゃんはノーコメント。」
「ノーコメントってあるね!、Hさんが、マークやシャツを作ったのだから参加しなきゃダメよ。」
他にもママさんが誘ったのだろう、次から次へ参加者の名前が挙がった。
まぁーこんな訳で会員九名、顧問九名の自転車サイクリング倶楽部「一駆」が誕生した。
五月第二日曜日に一回目の走行会を上熊本~植木までの自転車ロードを走ることになったのである。

次回へ
2007年11月04日
「風に乗って」 №3
◇ 熊本のギャラリー ◇ 11月のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№3
いよいよ五月の第二日曜日、当日である。爽やかな季節、天候もサイクリング日和だ。
全員参加の予定だったが、仕事の関係や家庭の事情で参加出来ず、会長ことK・Oさん通称チャチャ丸さん、
副会長T・Mさん、編集員T・Hさん通称メタボリさん、T・Sさん、A・Mさん通称ナスビさんと女性只一人のママさんの六名の参加である。
朝九時三〇分出発なのに九時前には全員集合しているではないか。
朝寝坊のママさんもどうやら早起きしたらしく、まだ目が覚めぬまま「みんな早いね!」と声を掛けている。
迷惑なのは、マスターだろう、集合場所がこの店になっている為、折角の休日なのに朝早くから、みんなの為にコーヒーを点てている。
一杯のコーヒーで出発前の緊張感がほぐされ、和やかな会話が始まった。
そこへ剣士Y・Kさんやって来た。
「みなさん、おはようございます。私も顧問の一人なので自転車には、乗りませんが、見送りに来ました。」
「まぁー、すみません、夜の帝王が朝から見送りとは。」とようやく目が覚めたようなママさんが冗談まじりに挨拶をしていると「そろそろ時間です」会長から声がかかった。
みんな、それぞれの自転車にまたがり目指すは植木温泉まで。
会長を先頭に一列に走る姿は、中々なものだ。
サイクリングロードとは上熊本から山鹿までの道。
私の聞いたところでは、昭和二八年頃まで山鹿から植木駅まで鹿本鉄道が走っていた。
山鹿方面の住民は熊本市内まで行くのによく利用していたらしい。元熊大の教授でS・N先生も学生の頃よく利用した口だそうだ。
列車が坂道に入るとスピードが落ちるため学生だった先生達乗客は、列車を降り皆で押していたと懐かしそうに話してくれた。その鹿本鉄道は、昭和二八年の災害で路線を復興出来ず、何年か後に線路跡をサイクリングロードとして甦らせたそうだ。
今では、自転車愛好家が多いに利用している。
一駆の自転車隊も会長の意見でサイクリングロードの出発点である本妙寺から井芹川沿を通って上熊本駅前、崇城大前と進んで行くことになった。
みんな順調に走っているかのように思えたが・・・。
次回へつづく

画:橋田編集長

いよいよ五月の第二日曜日、当日である。爽やかな季節、天候もサイクリング日和だ。
全員参加の予定だったが、仕事の関係や家庭の事情で参加出来ず、会長ことK・Oさん通称チャチャ丸さん、
副会長T・Mさん、編集員T・Hさん通称メタボリさん、T・Sさん、A・Mさん通称ナスビさんと女性只一人のママさんの六名の参加である。
朝九時三〇分出発なのに九時前には全員集合しているではないか。
朝寝坊のママさんもどうやら早起きしたらしく、まだ目が覚めぬまま「みんな早いね!」と声を掛けている。
迷惑なのは、マスターだろう、集合場所がこの店になっている為、折角の休日なのに朝早くから、みんなの為にコーヒーを点てている。
一杯のコーヒーで出発前の緊張感がほぐされ、和やかな会話が始まった。
そこへ剣士Y・Kさんやって来た。
「みなさん、おはようございます。私も顧問の一人なので自転車には、乗りませんが、見送りに来ました。」
「まぁー、すみません、夜の帝王が朝から見送りとは。」とようやく目が覚めたようなママさんが冗談まじりに挨拶をしていると「そろそろ時間です」会長から声がかかった。
みんな、それぞれの自転車にまたがり目指すは植木温泉まで。
会長を先頭に一列に走る姿は、中々なものだ。
サイクリングロードとは上熊本から山鹿までの道。
私の聞いたところでは、昭和二八年頃まで山鹿から植木駅まで鹿本鉄道が走っていた。
山鹿方面の住民は熊本市内まで行くのによく利用していたらしい。元熊大の教授でS・N先生も学生の頃よく利用した口だそうだ。
列車が坂道に入るとスピードが落ちるため学生だった先生達乗客は、列車を降り皆で押していたと懐かしそうに話してくれた。その鹿本鉄道は、昭和二八年の災害で路線を復興出来ず、何年か後に線路跡をサイクリングロードとして甦らせたそうだ。
今では、自転車愛好家が多いに利用している。
一駆の自転車隊も会長の意見でサイクリングロードの出発点である本妙寺から井芹川沿を通って上熊本駅前、崇城大前と進んで行くことになった。
みんな順調に走っているかのように思えたが・・・。
次回へつづく

画:橋田編集長

2008年01月06日
「風に乗って」 №4
◇ 熊本のギャラリー ◇ 12月のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№4
12月号「風に乗って」4回目
メタボリックのT・Hさんは、とてもきつそう、息を「ハァー、ハァー」と切らしながら皆に遅れまいと一生懸命に走っている。
後ろから「早く行かないと、閊えるよ」とママさんの声が聞こえる。なんと元気のいいことだろう。
「先に行きなっせ、僕チャンは後からついてくるけん」と声を掛けるのが精一杯の様子。
T・Sさんは、のんびりと五月の季節を楽しむかのように「ママさん、この花は何でしょうか?まだ、田植えの時期じゃないんですね?」といろいろ話しかけてくる。
「私に聞かないで、花の名前なんて知らない!今は、そんな余裕なんてないヨ」とママさんも初めての体験に必死のようだ。
副会長のT・Mさんは、さすがに走行会前にトレーニングをやっていたらしく余裕でトップを走っている。ナスビさんことA・Mさんは、普段マラソンをしているだけあって、体力があり体脂肪十三・四と言って自慢している。
やっと休憩場所の硯川に到着。
メタボのT・Hさんはここで引き返そうと思っていたらしい。でも、皆の手前それも言えず、「キツカデスバイ、ヒィーヒィー、フーフー」を連発している。
それぞれ疲れ果てているがメタボさんの連発で笑い声が溢れた。
植木温泉まで後半分の地点だ。
会長のK・Oから、「余り休むと余計に疲れますけん。そろそろ出発しましょうか?」と声がかかる。
メタボのT・Hさんは、もう、行くのかと言うような顔をして動き始めた。
これから難所が続く。緩やかな登り坂道を行くと、今度は、階段を上がらなくてはならない。永年、自転車を乗っているK・Oさんは、皆にお手本を見せようと、階段の中央のスロープを四五度はあると思うが、自転車で登り始めた。
「会長!危ないヨ、辞めた方がいいよ」と心配そうにママさんが声を掛けている
間に着いてしまった。
皆はとても無理なので、階段を歩いて上がり、そこで一息。
一番難所の植木町の国道三号線に交わる、Sカーブの坂を登らなくてはならない。
これがなんとも言えない坂道なのだ。さすがの会長K・Oさんも副会長のT・Mさん、ナスビさん、T・Sさんも辛そうである。メタボのT・Hさんは男の意地を見せているのか途中まで頑張ったが、自転車を降りてしまった。ママさんは、最初から諦めているのか自転車を押して上がった。
どうにか難所の登り坂をクリアーしたメンバー達は、国道三号線を横切りしばらく行くと両側が竹薮になっている下り坂を一気に駆けて行く。まさに、風に乗っているかのような気分を味わったのだ。
目的地の植木温泉に着いたのは、十二時頃度々の休憩で約二時間三〇分の走行だ。
昼食は、河川敷の木陰で持参の弁当開きをすることになった。疲れ果て、汗びっしょりの身体に川からの風が気持ちよく、梅干入りの握り飯をパクつき、道中話で花が咲いたようだ。
つづく


12月号「風に乗って」4回目
メタボリックのT・Hさんは、とてもきつそう、息を「ハァー、ハァー」と切らしながら皆に遅れまいと一生懸命に走っている。
後ろから「早く行かないと、閊えるよ」とママさんの声が聞こえる。なんと元気のいいことだろう。
「先に行きなっせ、僕チャンは後からついてくるけん」と声を掛けるのが精一杯の様子。
T・Sさんは、のんびりと五月の季節を楽しむかのように「ママさん、この花は何でしょうか?まだ、田植えの時期じゃないんですね?」といろいろ話しかけてくる。
「私に聞かないで、花の名前なんて知らない!今は、そんな余裕なんてないヨ」とママさんも初めての体験に必死のようだ。
副会長のT・Mさんは、さすがに走行会前にトレーニングをやっていたらしく余裕でトップを走っている。ナスビさんことA・Mさんは、普段マラソンをしているだけあって、体力があり体脂肪十三・四と言って自慢している。
やっと休憩場所の硯川に到着。
メタボのT・Hさんはここで引き返そうと思っていたらしい。でも、皆の手前それも言えず、「キツカデスバイ、ヒィーヒィー、フーフー」を連発している。
それぞれ疲れ果てているがメタボさんの連発で笑い声が溢れた。
植木温泉まで後半分の地点だ。
会長のK・Oから、「余り休むと余計に疲れますけん。そろそろ出発しましょうか?」と声がかかる。
メタボのT・Hさんは、もう、行くのかと言うような顔をして動き始めた。
これから難所が続く。緩やかな登り坂道を行くと、今度は、階段を上がらなくてはならない。永年、自転車を乗っているK・Oさんは、皆にお手本を見せようと、階段の中央のスロープを四五度はあると思うが、自転車で登り始めた。
「会長!危ないヨ、辞めた方がいいよ」と心配そうにママさんが声を掛けている
間に着いてしまった。
皆はとても無理なので、階段を歩いて上がり、そこで一息。
一番難所の植木町の国道三号線に交わる、Sカーブの坂を登らなくてはならない。
これがなんとも言えない坂道なのだ。さすがの会長K・Oさんも副会長のT・Mさん、ナスビさん、T・Sさんも辛そうである。メタボのT・Hさんは男の意地を見せているのか途中まで頑張ったが、自転車を降りてしまった。ママさんは、最初から諦めているのか自転車を押して上がった。
どうにか難所の登り坂をクリアーしたメンバー達は、国道三号線を横切りしばらく行くと両側が竹薮になっている下り坂を一気に駆けて行く。まさに、風に乗っているかのような気分を味わったのだ。
目的地の植木温泉に着いたのは、十二時頃度々の休憩で約二時間三〇分の走行だ。
昼食は、河川敷の木陰で持参の弁当開きをすることになった。疲れ果て、汗びっしょりの身体に川からの風が気持ちよく、梅干入りの握り飯をパクつき、道中話で花が咲いたようだ。
つづく

2008年01月07日
「風に乗って」 №5
◇ 熊本のギャラリー ◇ 2008年1月号のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№5
2008年1月号「風に乗って」5回目
初の走行会も無事帰路に着いた。
会長を除くメンバー達は、始めての体験で、なにやら感じ得るものがあったようだ。
その後、メンバー達の話し合いで、新人が入った場合には、植木のサイクリングロードを経験してもらうことになった。
いつもの喫茶店では、メンバー達の話で賑わっているさなか、ママさんが声を掛けたT・Tさんも参加することになった。
彼は、ある、デパートを退職して第二の就職も決まり、心新たに人生を楽しみたいと言うのである。
早速、自転車を奥さんと一緒に買いに行ったようだ。色々探したが、どのような自転車がいいのか分からず、ママさんのアドバイスで決めたようである。
どちらかと言うと彼女もよく分かっていなくて最初は、安い自転車いいと適当に進めている。
それが、T・Tさんにとって良かったのかどうか分からないが、マウンテンバイクを購入したのだ。
最初の決め事どおりに、新人T・Tさんの参加の為、六月は、植木のサイクリングロードを走り、七月は、甲佐の簗場までを走行することになった。
初参加のT・Tさんは、植木のサイクリングロードで、かなり苦しそうで足が痛い、お尻が痛いと呟いていたが、T・Tさんに感想を聞いてみると「今まで、車ばかり乗っていて、脚力がこんなに衰えているとは思わなかった。
これからは、もっと鍛えないと。家内も大賛成でシャツまでプレゼントしてくれたんですよ。」
と意欲満々である。
「T・Tさんは、奥さんの理解があっていいね!!でも、メタボのHさんのところも泣かせる話があるのよ。」とママさんが横から話しに入り込んできた。
彼の娘さんが、父の日の為にアルバイトをしたお金で、自転車をプレゼントしてくれたのだ。
彼の奥さんの話では、飽きっぽい性格で何でも長続きしないそうである。
本当に走れるのか?それとも、話だけで終わるのかと思っていたのに、ママチャリで走りどうにか完走したHさんに対してのご褒美と健康を願っての事だろう。
六月下旬から梅雨が長引き、甲佐の方では梅雨災害で、簗場には行けそうもないと、ママさんの方から皆に連絡が入り中止と言う事になった。だが、五月・六月と自転車に魅了されたメンバー達は、一ヶ月に一度は、走行会をと言う事で急遽、第四日曜日に行ける者だけ行く事になった。
次回へつづく

2008年1月号「風に乗って」5回目
初の走行会も無事帰路に着いた。
会長を除くメンバー達は、始めての体験で、なにやら感じ得るものがあったようだ。
その後、メンバー達の話し合いで、新人が入った場合には、植木のサイクリングロードを経験してもらうことになった。
いつもの喫茶店では、メンバー達の話で賑わっているさなか、ママさんが声を掛けたT・Tさんも参加することになった。
彼は、ある、デパートを退職して第二の就職も決まり、心新たに人生を楽しみたいと言うのである。
早速、自転車を奥さんと一緒に買いに行ったようだ。色々探したが、どのような自転車がいいのか分からず、ママさんのアドバイスで決めたようである。
どちらかと言うと彼女もよく分かっていなくて最初は、安い自転車いいと適当に進めている。
それが、T・Tさんにとって良かったのかどうか分からないが、マウンテンバイクを購入したのだ。
最初の決め事どおりに、新人T・Tさんの参加の為、六月は、植木のサイクリングロードを走り、七月は、甲佐の簗場までを走行することになった。
初参加のT・Tさんは、植木のサイクリングロードで、かなり苦しそうで足が痛い、お尻が痛いと呟いていたが、T・Tさんに感想を聞いてみると「今まで、車ばかり乗っていて、脚力がこんなに衰えているとは思わなかった。
これからは、もっと鍛えないと。家内も大賛成でシャツまでプレゼントしてくれたんですよ。」


「T・Tさんは、奥さんの理解があっていいね!!でも、メタボのHさんのところも泣かせる話があるのよ。」とママさんが横から話しに入り込んできた。
彼の娘さんが、父の日の為にアルバイトをしたお金で、自転車をプレゼントしてくれたのだ。


本当に走れるのか?それとも、話だけで終わるのかと思っていたのに、ママチャリで走りどうにか完走したHさんに対してのご褒美と健康を願っての事だろう。
六月下旬から梅雨が長引き、甲佐の方では梅雨災害で、簗場には行けそうもないと、ママさんの方から皆に連絡が入り中止と言う事になった。だが、五月・六月と自転車に魅了されたメンバー達は、一ヶ月に一度は、走行会をと言う事で急遽、第四日曜日に行ける者だけ行く事になった。
次回へつづく
2008年02月12日
「風に乗って」 №6
◇ 熊本のギャラリー ◇ 2008年2月号のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№5
2008年2月号「風に乗って」6回目
どうにか梅雨も終わりに近づいた。
7月22日は曇りとなり自転車一駆のメンバー6名は、朝9時30分に甲佐の簗場を目指し出発した。
6月の終わりから降り続く雨に美里町付近は、洪水災害にみまわれている、そんな時にサイクリング気分で災害地に行くのはどうだろうと言う意見もあったが、会長のK・Oさんのたっての希望で決行されたのだ。
一駆のメンバー達は、今までサイクリングロードを中心に走っていて、初めて長距離で車道を走る体験をした。
江津どもを抜け嘉島の田園地帯を順調に走っているように思えたが、1回目の休憩の時、会長のK・Oさん、ママさんがどうやら気分が悪いらしく、副会長のT・Mさんが「大丈夫ネ!」と心配そうに声を掛けている。
K・Oさんは、前の晩にお酒をチョト飲みすぎのようだ。ママさんもお酒は飲まないが、寝不足と暑さと初めての歩道のボコボコで胃がむかついているようだ。
まぁー、それでもどうにか目的地の簗場に着いた。
観光客で賑わっているらしく、しばらく待たされた。その間、T・Tさん・T・Mさんは、頭から水をかぶり気持ちよさそうだ。
体調が良くないママさんは、帰りが心配なのだろか、マスターに車で迎えに来るよう連絡している。
ところが、マスターの返事は、「ゆっくりポチポチ帰っておいで。」と言うのである。さすがのママさんもあきれ果てていた。
ようやく待望の鮎料理が刺身、塩焼き、南蛮漬けと次から次へとコースで運ばれて来た。
まるで宴会コースのようだと言いながらアユを満喫している男性5人を横目に、アユを食べられないママさんだけ特別に鳥のから揚げを用意してもらった。だが、アユ料理しかない所でから揚げを注文する人も珍しい事だ。後で話を聞くと、鮎料理コースが約3,800円で、から揚げも3,000円近くの料金だったとぼやいていた。
お腹も一杯になったメンバー達は、爽やかな風のなか暫しの休憩をして甲佐の簗場を後にした。
帰り道、会長・副会長・メタボさん・ナスビさん、T・Tさん・ママさんと列をなし走っていたが、途中から二人T・Tさんとママさんの姿が見えない。会長のK・Oさんが「休憩の所で待っていれば追いつくでしょう。一本道だから」と言い4人はのんびり休憩をしていた。
つづく

テッシュペーパーに筆ペンで書かいたイラスト。。流石~橋田編集長

2008年2月号「風に乗って」6回目
どうにか梅雨も終わりに近づいた。
7月22日は曇りとなり自転車一駆のメンバー6名は、朝9時30分に甲佐の簗場を目指し出発した。
6月の終わりから降り続く雨に美里町付近は、洪水災害にみまわれている、そんな時にサイクリング気分で災害地に行くのはどうだろうと言う意見もあったが、会長のK・Oさんのたっての希望で決行されたのだ。
一駆のメンバー達は、今までサイクリングロードを中心に走っていて、初めて長距離で車道を走る体験をした。
江津どもを抜け嘉島の田園地帯を順調に走っているように思えたが、1回目の休憩の時、会長のK・Oさん、ママさんがどうやら気分が悪いらしく、副会長のT・Mさんが「大丈夫ネ!」と心配そうに声を掛けている。
K・Oさんは、前の晩にお酒をチョト飲みすぎのようだ。ママさんもお酒は飲まないが、寝不足と暑さと初めての歩道のボコボコで胃がむかついているようだ。
まぁー、それでもどうにか目的地の簗場に着いた。
観光客で賑わっているらしく、しばらく待たされた。その間、T・Tさん・T・Mさんは、頭から水をかぶり気持ちよさそうだ。
体調が良くないママさんは、帰りが心配なのだろか、マスターに車で迎えに来るよう連絡している。
ところが、マスターの返事は、「ゆっくりポチポチ帰っておいで。」と言うのである。さすがのママさんもあきれ果てていた。
ようやく待望の鮎料理が刺身、塩焼き、南蛮漬けと次から次へとコースで運ばれて来た。
まるで宴会コースのようだと言いながらアユを満喫している男性5人を横目に、アユを食べられないママさんだけ特別に鳥のから揚げを用意してもらった。だが、アユ料理しかない所でから揚げを注文する人も珍しい事だ。後で話を聞くと、鮎料理コースが約3,800円で、から揚げも3,000円近くの料金だったとぼやいていた。
お腹も一杯になったメンバー達は、爽やかな風のなか暫しの休憩をして甲佐の簗場を後にした。
帰り道、会長・副会長・メタボさん・ナスビさん、T・Tさん・ママさんと列をなし走っていたが、途中から二人T・Tさんとママさんの姿が見えない。会長のK・Oさんが「休憩の所で待っていれば追いつくでしょう。一本道だから」と言い4人はのんびり休憩をしていた。
つづく

テッシュペーパーに筆ペンで書かいたイラスト。。流石~橋田編集長


2008年03月25日
「風に乗って」 №7
◇ 熊本のギャラリー ◇ 2008年3月号のコラム(連載)より
サイクリング倶楽部「一駆」の誕生~№7
「風に乗って」(七) 連載
著/きたの・みなみ
「もう20分位なるけど二人は、遅いですね」と会長のOさんが言い出した。
「そう言えばチョッと遅いねー」「道を間違える訳ないと思うけど」と副会長のMさんも心配げに言い出した。
すると今度は、「そう言えば、橋の近くで救急車が走っていたが、もしかして、ママさんの気分が悪くなって救急車で運ばれたのかも知れない。」とメタボのHさんが言い出した。
皆の顔が急に変わった。「それじゃ、とにかくバックして探そう。ナスビさん、貴方が一番元気だからチョッと見て来て」とメタボのHさんが言い出した。ところが、ナスビさんは、「今日は急いで帰りたいです。だから先に行きます。」
「そんなら、荷物をもって先に行きよんなっせ」「後で追いつくけん」とメタボのHさんとやり取りをしていた。
会長のOさんも体調は良くないが、副会長のMさんと二人で、今来た道を探しに行った。
そのころ、ママさんとT・Tさんは、皆に追いつこうと一生懸命に走っていた。
すると、後ろから、「ママさん、この道、違うと思うけど」とT・Tさんが言い出した。
「えっ、真っ直ぐ来たけど、間違っている?」「向こうの橋を渡らないといけないと思うけど」と遠く離れた後方を指差した。
「T・Tさん、この道を真っ直ぐ行くと、どこに行くの?」「多分、城南の方だと思うけど」「それじゃ、戻って、あの橋まで行く?」「そうですネー」と思案しているT・Tさんに構わず、「面倒だからこの先から向こうにつながっている道を行きましょう。」とだいたい面倒くさがりやのママさんが言い出した。
ところが、行けども、行けども、皆に追いつかない。
「おかしいネ、メタボのHさんがいるのだから、休憩しないはずないヨネ」「どこかで、追い抜いたのかもしれないですね。」と話しながら走り続けた。
「チョッと、会長に電話してどこに居るのか聞いてみよう」とママさんが携帯に掛けるけど返事がない。
まだ、走っているのかも?と思いながらも、今度は、Hさんに携帯にしてみた。すると「アータ達は、どこにオッとね」大きな声が帰ってきた。
「今ね、御船の高速の下よ」「動かずに、そこでまっときなっせ」と携帯を切った。
T・Tさんとママさんは、云われたように皆を待っていた。
三〇分ほどすると向こうから二人競争でもしているかのようにナスビさんとHさんが風を切って走ってきている。
T・Tさんとママさんの前に来るなり、「ナスビに勝ったバイ」と息を切らしながら自慢げに云ったかと思うと「会長・副会長があーた達ば探しにいっととバイ」とママさんたちの事より足腰が強いナスビさんに自転車での競争に勝ったことのほうが嬉しそうなHさんである。
しばらくすると、会長・副会長も合流しとにかく何事もなく無事いつもの喫茶店に帰ってきた。
ドア開けるなり「マスター今日は、大変だったバイ
」とヒーヒー・フーフーと身体を揺すりながらHさんが、報告をしている。
次回へつづく


「風に乗って」(七) 連載
著/きたの・みなみ
「もう20分位なるけど二人は、遅いですね」と会長のOさんが言い出した。
「そう言えばチョッと遅いねー」「道を間違える訳ないと思うけど」と副会長のMさんも心配げに言い出した。
すると今度は、「そう言えば、橋の近くで救急車が走っていたが、もしかして、ママさんの気分が悪くなって救急車で運ばれたのかも知れない。」とメタボのHさんが言い出した。
皆の顔が急に変わった。「それじゃ、とにかくバックして探そう。ナスビさん、貴方が一番元気だからチョッと見て来て」とメタボのHさんが言い出した。ところが、ナスビさんは、「今日は急いで帰りたいです。だから先に行きます。」
「そんなら、荷物をもって先に行きよんなっせ」「後で追いつくけん」とメタボのHさんとやり取りをしていた。
会長のOさんも体調は良くないが、副会長のMさんと二人で、今来た道を探しに行った。

そのころ、ママさんとT・Tさんは、皆に追いつこうと一生懸命に走っていた。
すると、後ろから、「ママさん、この道、違うと思うけど」とT・Tさんが言い出した。
「えっ、真っ直ぐ来たけど、間違っている?」「向こうの橋を渡らないといけないと思うけど」と遠く離れた後方を指差した。
「T・Tさん、この道を真っ直ぐ行くと、どこに行くの?」「多分、城南の方だと思うけど」「それじゃ、戻って、あの橋まで行く?」「そうですネー」と思案しているT・Tさんに構わず、「面倒だからこの先から向こうにつながっている道を行きましょう。」とだいたい面倒くさがりやのママさんが言い出した。
ところが、行けども、行けども、皆に追いつかない。
「おかしいネ、メタボのHさんがいるのだから、休憩しないはずないヨネ」「どこかで、追い抜いたのかもしれないですね。」と話しながら走り続けた。
「チョッと、会長に電話してどこに居るのか聞いてみよう」とママさんが携帯に掛けるけど返事がない。
まだ、走っているのかも?と思いながらも、今度は、Hさんに携帯にしてみた。すると「アータ達は、どこにオッとね」大きな声が帰ってきた。
「今ね、御船の高速の下よ」「動かずに、そこでまっときなっせ」と携帯を切った。

T・Tさんとママさんは、云われたように皆を待っていた。
三〇分ほどすると向こうから二人競争でもしているかのようにナスビさんとHさんが風を切って走ってきている。
T・Tさんとママさんの前に来るなり、「ナスビに勝ったバイ」と息を切らしながら自慢げに云ったかと思うと「会長・副会長があーた達ば探しにいっととバイ」とママさんたちの事より足腰が強いナスビさんに自転車での競争に勝ったことのほうが嬉しそうなHさんである。
しばらくすると、会長・副会長も合流しとにかく何事もなく無事いつもの喫茶店に帰ってきた。
ドア開けるなり「マスター今日は、大変だったバイ


次回へつづく
